株式会社サンクルのホームページをご覧いただきありがとうございます。
株式会社サンクルの代表の遠藤純と申します。
買取や片付けをご依頼頂くお客様の中には、「この想いの詰まった品物を買い取ってくれる人って、どんな人なんだろう?」と思われる方も多いのではないかと思います。
そういったお客様が安心して買取の依頼ができるように、少しでも私のことを知って頂ければと思い、私のプロフィールを書いてみました。
時計業界に就職
インテリアの専門学校を卒業後、高校の恩師の紹介で腕時計修理専門会社に就職。
「腕時計職人になる!」という夢をもちました。
しかし3年経っても修理の受付担当業務。
いつまで経っても修理の仕事が出来ないことに焦りを感じていました。
だんだん腕時計の小売りに興味を持ち始めるようになり、地元の時計宝飾店に転職しました。
それまで時計の小売りの経験は全くなかったのですが、それが逆に良かったのかもしれません。
当時の時計業界では当たり前のことだったのですが、時計店はどこも同じような飾りっけのないディスプレイでした。
時計業界の常識を知らない私は「これではあまりにつまらない!」と思い、アパレルのディスプレイを参考に展示をしました。
これが当たって数々のブランドで販売数が全国トップに!
この実績が認められ、この店の店長となり、そして、当時の社長から「この店を買い取って事業をしてみては」というお話をいただくまでになりました。
独立して会社設立!が・・・
そこで、店を買い取って独立するために自分の会社を設立!
銀行からの融資の取り付け準備もして、「よし!これから頑張るぞ!」という時に、なんと先方の事情でこの話が破談。
せっかく設立した会社も閉業することになりました。
すっかり落ち込んでいたところに、取引先からお声かけいただき、大阪の時計メーカーに営業として就職しました。
転職したのはよかったのですが、それまで時計の営業の経験は全くありませんので、数ヶ月は売上が最下位。
そこで自分を見つめ直し、「どうやったら売れるか」ではなく「どうやったら小売店の悩みを解決できるか」を考えました。
大手宝飾チェーン店には宝飾店の過剰在庫の宝石を使ったOEM腕時計の制作を提案して新規開発に成功。
テレビ通販に出ていた真珠販売店通販向けのOEM時計の制作も受注しました。
営業実績を順調に伸ばしたことが認められて、直営店、お台場ヴィーナスフォートの担当も兼務するようになりました。
実績も伸ばし、お客様からも信頼されるようになり、順風満帆に進んでいた矢先に、なんと、会社が倒産!
これにより新たな仕事先を探すことになりました。(会社が倒産した後、宝飾チェーン店と真珠販売店の両社からお声がけを頂いたのはうれしかったです。)
海外ブランドの眼鏡販売の営業に
取引先からお声がけを頂いたのですが「自分がどこまで出来るのか試してみたい」という思いがありました。
そこで外資系の会社に就職し、海外ブランドの眼鏡販売の営業に従事することにしました。
外資系というと実力次第で「収入」も「自由」も手に入る実力主義というイメージでした。
が、思ったよりも自分の自由にできることが少なく、実力主義の報酬というわけでもない。
「ここでは、自分がどこまで出来るのか試すことは出来ない」と感じるようになり退職することにしました。
個人事業主として独立
自分がどこまで出来るのかを試すには、独立しかない。
その頃、休みの日には気晴らしで家の不用品などをフリーマーケットで販売していました。
フリーマーケットで売り始めた頃は「不用品でもこんなに売れるんだ・・・」と驚きました。
ネットがまだこれからの時代だったので「これは商売になるな!」と思いました。
そこで、古物免許を取得して、仕事が休みの日に古物市場をまわり、どんなモノが市場に出ているのかを見て回るようになりました。
そして、2008年、ついに狭山市に店舗を借りて個人事業主としての独立に踏み切りました。
ホームページの立ち上げ
高校生の頃からアメカジが好きだったこともあり、開業当初はデニムなどの古着を仕入れて販売していました。
売上は順調に伸びていき、2010年には川越にも2店舗目を出店。
古物市場から仕入れる品物も家具や骨董など、じょじょに増やしていきました。
しかし、市場に出回る品物は毎回同じようなものばかり。
「市場から仕入れるだけでは限界がある」と感じ、自分で直接仕入れるためにホームページを立ち上げました。
ホームページを立ち上げると、今まで想像もしていなかったような依頼もくるようになりました。
ある時には遠方から2万点もの郷土玩具の買取の依頼がありました。
これには驚きましたが、ご自宅までお伺いして全て買い取り。
2tトラックで埼玉の倉庫まで運んで、5~6年かけて販売しました。
携わる人みんなに利益が残るような商売
ホームページを公開してから、遺品の買取の依頼もいただくようになりました。
当店の場合、「買取の依頼をいただくお客様」「コレクターズ(当店)」「購入いただくお客様」の3者がそろって商売が成り立ちます。
この3者全てに利益が出なければ、商売は長く続かないと考えました。
遺品整理のようにまとまった買取の場合、「まとめて〇〇円」のように個々に査定はせずに、まとめて見積るやり方もあります。
買取はせずに、全ての処分費用だけを請求するやり方もあります。
遺品はいろいろな思い出が残っているもの。
個々に査定して欲しいと思う依頼者様もいらっしゃると思います。
そこで、買取の際には「まとめて〇〇円」ではなく、個々に査定をおこない、出来る限り依頼者様にも利益が出るようなやり方にしました。
さらに、購入者様にも出来るだけ安く購入してもらえるような価格設定したところ、とても喜んで頂けるようになりました。
こうやって商売が広がっていくことで当店の利益も上がっていきますので、「携わる人みんなに利益が残るような商売」になってきたと思います。
買い取り以外のサービスの開始
遺品の買取にうかがうと、「もうこの家に住む人間がいないので、売却を考えているんですが、何か良い方法はありますか?」というご相談をいただくようになりました。
当店でも何かお力になれないかと考え、片付けの仕事もお受けできる体制を整えました。
信頼できる不動産会社を探して提携して、不動産の売却のお手伝いも始めました。
この一連の仕組みが出来たことで、「遺品買取」「片付け」「物件売買」まで一貫したお手伝いができるようになり、依頼者様から大変喜んでいただけるようになりました。
これからも、お客様からのいろいろなご要望があると思います。
買取だけでなく、買取からいろいろな方面の他業種の方と接点をもって、お客様のご要望におこたえして「携わる人みんなに利益が残るような商売」をしていきたいと思っています。
最後に
長いプロフィールをお読みいただきありがとうございました。
専門学校を卒業後に時計職人を目指し、その後に時計の小売り、時計の営業、海外ブランド眼鏡の営業と未知の分野で経験を積んでいきながら、今の古物売買という仕事に辿り着きました。
会社を設立して事業を買い取る話が土壇場で破談になったり、勤めていた会社が倒産したり、苦しい経験もありましたが、それらの経験はすべて今の自分の中に活きていると思います。
小売の時も営業の時も、「どうすれば相手の利益になるか」を考えて行動した時に、商売がうまくいきました。
これからも自分だけではなく「携わる人みんなに利益が残るような商売」を目指して頑張っていきたいと思います。
お会いできるのを楽しみにしております。
遠藤 純